「瞬く星の下で」製作過程やそのほかについて。
結婚式のウェルカムボードを製作させていただきました。
メイキングと一緒に、この絵に込めた想いなどを書けたらと思います。
まず、このウェルカムボードを製作するにあたってカリグラフィーやドライフラワーなどを使った立体の物よりも絵が良いですとのご希望と、
『お二人それぞれの好きな色』→赤と青
をお伺いさせて頂きました。
そこから候補のラフをいくつか製作させて頂き、選んで頂きました。
下絵です。
足元の花畑ははじめ、ネモフィラにするつもりだったのでネモフィラの写真を参考にして描きました。
下塗りです。
薄く溶いたアクリル絵の具を使ってなんとなく濃淡のバランスを決めて行きます。
濃い色を重ねていきます。
はじめは朝焼けと星空とネモフィラ、という風景にしようかと思い描いたものがあったのですが、あまりにも色がピンとこずボツにしました。
なので朝焼けではなく、朝日が登る手前の光る地平線と、
青のネモフィラではなく、空も花畑もお互い映えるように花の色をオレンジに変えました。
ひたすら花を描き込みます。
赤い花畑にしようかと思ったけど色が少しキツかったので、赤橙白の三色にしました。
花の種類は季節に合わせ、ポピーにしました。結婚式にも人気の花です。
空を描き込みます。
白でドレスや星などを描き込み、完成です。
アクリルボードをキャンバスの大きさに合わせて切断し、そこに油性ペンで文字を入れました。
式後はキャンバスを風景画のファブリックパネルとして飾れます。
この絵はポルノグラフィティさんの「瞬く星の下で」という曲を聴きながら描きました。
『この場所がどこだろうと見上げれば瞬く星
その下で君を思えば悪くない夜になる』
今まで全然違う人生を歩んできた2人が一緒に生きて行くには、楽しいことも勿論多いと思いますが戸惑ったりすることもあると思います。
生活リズムが違かったり、価値観が違ったり。
それでもたとえ1人の時間でも相手がいることによって孤独が消えれば良いな、それが理想の結婚だなぁと思ってます。
落ち込んだ時、上を向くのもしんどい時。足元がたとえ荒野だったとしても。
『見渡す限りの荒野で行き先を示すもの』
隣に大切な人がいて、これから先の道を一緒に歩いていけたらいいなぁと思います。
私の絵には大した力はないですが、それでも、描いた星や花の数より多くの幸せが訪れますように願いを込めて。どうかお幸せに。
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最後になりましたが、ご結婚おめでとうございます。
お2人のハレの日に私の絵を置いて頂けること、大変嬉しく思います。
また、半ばお節介で押し付けるような形でお渡しさせていただいたのにも関わらず快く受け取って頂き、とても感謝しております。
おふたりの末永いご多幸を心の底から祈っております。
この度は誠にありがとうございました。
ただ生きて。青く燃えて。
今日で22歳です。よく生きたものだと思います。
思えば人生色々ありました。もちろんまだ全然若者の部類なんだと思いますが、それでも私にとって世界は私が中心なので、どうしてもそう言う感覚に陥ります。長い様な、短い様な。
死ぬほど思いつめた時期もあった気がします。取り返しのつかないことも沢山してきて、今でもなお苦しいことは数え切れないほどあります。
だけど21歳の1年間で私は生きていてよかったと少しだけ思える様になりました。
今まで岐阜や沖縄、北海道など色々な所に行ったことや、デザインフェスタの巨大ライブペイントへ出展した経験、遡れば引きこもってた時代も、家を飛び出したときも、自暴自棄になって酷い有様だった時も含めて私の今までの人生は何もかも後悔と言い訳ばかり。こんな惨めな人生でいいのかと自問自答して気が付いたら朝の4時で……。
今まで生きてきたのは無駄なんかじゃなかったんだと思えるようになったのは、これまで行ってきた土地で出会った人や、カメラ・絵の関係で知り合った人、友達、そして仕事では先輩上司やカメラの師匠とも呼べる尊敬できる人にも恵まれて、たくさんの人に出会って助けてもらってようやく自分が成長できたから。
人生はそれぞれ、その人だけのものかもしれないけど、やっぱり1人でなんて生きていけなくて沢山迷惑をかけてしまいました。
去年、私はやっとスタートラインだとFacebookに書きました。いま振り返って見たらスタートラインから一歩くらいは進めたんじゃないかな。だから今年は頑張って3歩くらい思いっきり進みたいな!
こういう風に考えられる様になったのも、ひとえに私と出会ってくれた全ての人のおかげです。
誰か1人でも欠けたらきっとまた人生変わっていたかもしれないし、それに何度考えても今が一番最高の人生送れてる。本当にいつも皆さまありがとうございます。
『人生ってままならないなぁと思うことは多いし、努力は報われるとは決まってないけど、後ろ向きすぎて本当にやりたいことを忘れないように日々是精進です。』
1年くらい前のFacebookの投稿からコピーしてきました。
初心を忘れず、でも確かに成長するために何をするべきか。考え続けて、行き詰っても足を止めないように日頃からできることをして。
ずっと自分の中で燻ってるなんだかわからない衝動みたいな、そわそわしてわくわくして止められない様ななにか物凄い情熱みたいなモノを原動力に、もっともっと遠くまで走れるように。
人生は短くて一度きりだから、今年も出来る限り色んな経験をして勉強して楽しく幸せに生きていける様に努力を怠らず精進して参ります。
22歳の野宮ましろも、何卒よろしくお願いいたします。
「蠍が落ちた日」作業過程
前の記事で作品に込めた想いについてつらつらと書き殴りましたが、今度は作業過程についてです。(写真を撮ってくれたたくさんの友人に感謝です!)
実にすっからかんのスペースです。
縦3.6×横8.0というのは想像以上に大きい。わかっていたけど、実際目の前にするとスケールがわけわからなくなります。
ここまでが1日目です。
2日目。売り子のそのちゃんと相談して、人通りの多い左側に物販を設置しました。
蠍の火球が描き終わったあたりで写真を撮ってくれる人が飛躍的に増えた気がします。体感ですが。
完成!ではないのですが、こちらが今回の最終形です
別アングルから
結果、書き上げることはかないませんでした。とても悔しいです…。
そのちゃんと!2日間売り子ありがとう〜〜!
次回のデザフェスは5月だそうですよ!次回出るならまた巨大ライブペイントブースがいいなぁ。もしかしたらデザフェスの前に年始にイベント出展するかも?
これからも日々精進してまりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
蠍が落ちた日
デザインフェスタvol.46が終わりました。
沢山の方にD-694へいらして頂けて、足を止めて頂いて嬉しかったです。
デザフェスは終わってしまったけど通りがかる人のその人にとっては何気ない一言が積み重なって幸せな気持ちが続いていて、昨日のことは夢だったんじゃないだろうかと仕事に行く電車の中で考えてみたり。
…それでもやっぱり描きあがらなかったという悔しさで胸が焼け付くほど悔しいので、あれは現実だったんだと思います。
私の絵は割とワンパターンです。夕陽と星空、そして海です。好きなものを知って欲しい。私が見てきた世界を誰かに伝えたい。多分それはクリエイターの原点なのかもしれません。ただ私は『価値観の押し付けはしてはいけない』し、したくないし、されたくない。
だから絵に自分がどんなイミテーションを潜ませようが「受け手がどう思うか」それが全てだとそう思っています。所詮人は自分の感性と価値観が全てですから。
この考えは、おそらくこの先もそんなに変わることはないと思っています。そして今まで絵の解説などをしなかったのも、そういう事でした。今回もあまりする気はありませんが、せっかくなので少しだけお話しできたらとは思います。
まず、今回の絵はいつにも増してリスペクト・オマージュの面が強いです。みなさんお気づきかもわかりませんが「銀河鉄道の夜」から発想を得ました。
「ほんとうのさいわい」とはなんでしょう。愛と信仰は共存するのかどうか。私はテレビを見ませんが、近年のメディアの在り方や、民意の行く先について。
この絵の世界に太陽はありません。燃え上がる紅葉もいつかは落ちて、星だけがのこります。
上の画像は私のネタ帳代わりのTwitterアカウントでのつぶやきなのですが、これが今回の元ネタです。
誰しもみんなきっと、誰かにとっての「君」になりたいと思う…と思います。たぶん、それがどんな形であったとしても。誰かの唯一でありたいと願いながら、それを忘れた人がたくさんいますよね。
その「誰か」は恋人かもしれませんし、家族かもしれないし友達かもしれないし、あるいは自分自身かもしれません。どうか思い出してください。
私は自分の描く絵で「誰か」が何かを受け止めて明日へ進むためのきっかけになればいいと、そう願っています。私にとっての「君」は自分自身であり、私の生み出した絵を見てくれた全ての「誰か」です。
この世界であなたの価値観は唯一でありあなたにとっては全てです。謙虚であることはきっと間違いではありませんが、人生は一度きりです。きっと今あなたがいる場所は間違ってない。積み上げてきたものを否定しないで、自分を好きになってください。
「ほんとうのさいわい」はきっとその先にあるのだと思います。
デザインフェスタvol.46
街路樹がどんどん色付いて来ていますね。
暑く寝苦しい季節の終わりよりも、何もかも落ちる前の方が何かが始まる気がするのはなんででしょう?足元に散った葉っぱですらわくわくします。
来月11日、12日にはデザインフェスタvol.46がありますね。私も巨大なライブペイントブースで両日出展します。
初めて出展したのはvol.44からなので、真夏のデザフェス含めて4回目…でしょうか。初めて出展したときはSブースだったんですけど、まさか自分がライブペイントブースで出展するなんてvol.45の当日まで信じられなかったし、今回巨大なライブペイントブースなのは未だによくわからないです。
初めて出展した時のブースの写真です。
この時壁に描いた絵は当時販売してたこの↓ポストカードのリメイクみたいな感じでした。
まあ当然客足は全然だったのでこのポストカードは未だに家に余ってます。今回も性懲り無く持って行くと思います。
どうやら私は青い絵を描く人?空を描く人?みたいな認識があるみたいなんですけどアクリル絵の具で風景描き始めたのはこのデザフェス44の時からなんですよね。それまで風景はきっちりパースを引いた建物とかばっかり描いてました。
ていうかそもそもアクリル絵の具なんて高校の平面構成演習とかデザインの授業でしか使ってなかった…だからなんと無くアクリル絵の具は真面目なイメージがあってあんまり好きじゃなかったんですけど、今思えばとらわれ過ぎですね。
そんなこんなで挑んだデザフェス45で初めてのライブペイント
この日のことは未だに上手く文字起こし出来ないんですけど、描き終わって振り返ったらたくさんの人がいて息が止まるほど嬉しかった思い出があります。
今回はどんなデザフェスになるかなぁ(´-`)
何はともあれ、大きなキャンバスに絵を描くのすごく楽しみです。
おひとりさまでも、友達や恋人・家族と一緒でもすごく楽しいイベントなので、ぜひデザインフェスタに遊びに来てくださいね。ラムネ瓶の中でお待ちしております。
【出展情報】
デザインフェスタvol.46
●11月11日・12日(土・日)
●国際展示場(東京ビックサイト)
●ブース→D-694『ラムネ瓶』
●種類:巨大なライブペイントブース(H3.6×W8.0m)
●販売物:キャンバス原画各種・iPhoneケース・トートバッグ
ピンボケした横顔と
スマホなどではないカメラで初めて意識して人を撮ってから、1年半弱。
カメラマンという職種について半年。
そして一昨日、やっと自分の成長を実感しました。
私が仕事で撮っているのは婚礼前撮りが主で、その納品データは1人で作るのですが写真をざっと見て「クオリティが上がったのでは?」とふっと実感しました。
初めの頃は同じような日の丸構図、画角を変えただけの単純な画面の繰り返しで、声掛けも下手なので当然表情も微妙………とはいえ本当にダメだったのはひとりで撮影し始める前のサブカメラ(アシスタント)の時期のデータで、1人で撮るのはきちんと会社側の撮影テストでクオリティ審査を通過した後だったことは明記しておきますね。あくまでも半年前と一昨日の自分を比べて、の話です。
自分の成長は亀の如く遅くて、焦ってイライラしてばかりですが確かに成長しているのだなぁと。
初めてコスプレ撮影をしたのは「君と僕。」の併せでしたが、データを見返すと全体的にオーバー気味の露出でストロボもなく画面構成も下手っぴ、さらに今思えばありえない事に真下からの広角煽りとか言うご法度な事やらかしたりしてました。(ごめんね)
データ自体は見るに耐えませんが、あの日の併せが楽しかったからこそクオリティの低さに落ち込んだのが今の自分のきっかけなので、個人的には良い思い出でもあります。でもまたリベンジさせてね笑
ちなみにコスプレと言えば、常々言っていますが正直コスプレ界隈の「コスプレイヤーがカメラマンの参加費を負担する」文化が私は反吐がでるほど嫌いです。
もちろん双方同意の上だったり、条件によってもまた変わりますので一概にはいえませんが私が言っているのは『カメラマンは高い機材を揃えて「撮ってもらってる」から』と言うただそれだけの理由で参加費を払えない事がすごく気に入らないと言うことです。
確かに機材は安くない。ピンキリですが、それでもカメラとレンズとストロボだけで最低10万くらいにはなると思います。
だけどカメラマンが機材にこだわるのはカメラマンの勝手です。極端な話、写ルンですでも魅力のある写真は撮れます。コスプレイヤーが衣装や化粧品を揃えるのと何が違うんでしょうか?
まして、美容に気を使って日頃の手入れをする事は経済面以外の負担を生むことは女に生まれれた自分が1番わかっています。他人に見られて恥ずかしくない自分になる為の努力をしている人を「撮らせていただく」立場でもあるのに、参加費を負担しろなんて口が裂けても言えません。
とは言え自分も参加費を負担しないことはこれまでもありましたし、これからも例えば大型併せだったり、数日前に急に入った知らない作品の撮影だったり、写真集や商用利用の撮影だったり、条件によってはありえます。ただ普通の撮影ならカメラマンである自分も負担すべきだと思うし、「プロだから」と言うのも趣味の撮影では関係ないと思っています。
一緒に作品を作る人間として支払わせてもらえないなら撮影する気はありません。それはお金を払うことでその写真作品に私自身も介入したいからです。作り手側にいたいんです。
自分がただのコスカメコからプロカメラマンになったからと言って、別に何も変わりません。
正直、プロより上手いアマチュアはたくさんいます。プロだから上手く、アマチュアだから下手なわけではありません。ただプロはお金をもらって撮っている以上、その写真には責任とプライドをかけなければいけないと思っています。その為の知識と技術は一生をかけて磨くものでもあると。
自分は人間性が幼く、思慮が浅い、自尊心の強い醜い大人です。子供から大人になった時に人生の辛かった時期を抱え切れなくなって逃げ出して、今そのツケを払っています。
私の写真を見た会社の人から人間性の幼さと、問題から逃げてやり過ごしている私の本性が見えるとそう言われた事もあります。私もそう思う。
死んでしまいたいと何度も思って、今でも思って、だけど自尊心だけで歯を食いしばって生きています。技術もなく魅力のない人間には生きる価値はありませんが、生きていなければ技術は身につきませんから。誰に認められたいかと言われたら、自分だけなのですが。だけど私には大切な事です。
初めてコスプレ撮影をしたのは君と僕。ですが、初めて人物を撮ったのはコスプレイヤーの霄(そら)さんのポートレートでした。霄さんと初めて知り合ったのは昔やっていたアメーバブログで、もう9年くらいの長い付き合いです。
ご縁があって久しぶりに再会して昭和記念公園で人生で初めてポートレートを撮りました。その時のファーストショットのピンボケした横顔の写真は私の人生を変え、わたしの原動力になっています。
刻一刻と状況を変える現場においてカメラマンのやることは非常に多いですが、被写体様の存在と言うのはカメラマンにとって良くも悪くもすごく大きいものです。
昨日とあるタグツイートで(これを書いている現在で)300RT、670♡を頂けたのはひとえに今まで撮影させて下さった被写体様のおかげです。きっと風景の写真だけを撮っていた2年前の自分じゃこんなに誰かに良いと思ってもらえる写真は撮れなかった。
これからも1枚ずつ大切に積み重ねて、いつかの奇跡の一枚を夢見てただひたすら精進する毎日です。
文字と色と。
「梶井基次郎の「檸檬」が好きだけど、あの世界観の色の感覚が好きなんですと人に説明してもわかってもらえない」
今月5日の「レモンの日」に書こうと思ってたブログの一文です。皆さんは文字に色って見えますか?私は見えます。
文字から受ける情報はとても大きくて、1番見えるのは色なんですが、形が見えることもあります。こう言うのを共感覚って言うのかどうなのかわからないんですが、どうなのでしょう。でも体調によって全く見えない日もあるので、まあ多分自分はそこまでたいそうなものではないのだと思うのですが。
本を読むときに色が見えるのは便利でもありますが、好きな色じゃなかったら読むのが疲れてしまうので不便でもあります。
ただその中で1番綺麗な色だったのは宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』です。次に檸檬。
見えた色を説明するのは難しいのですが、銀河鉄道の夜は金の淵の青い切子のグラスに注いだスパークリングみたいな色です。一色じゃないので正確には少し違うんですけど、すごく綺麗な色です。
リアルの知人には色が見えるよなんて面と向かって言ったことは無いんですけど、大して誰もみてないであろうこのブログになら書いてもいいかなって思って書いてみました。