ラムネ瓶の中の世界

瓶の中の世界でただぼんやりと文章を書きます。泡の様に浮かんでは消えます。

徒然なるままに。

揺れるつり革が遊ぶものではないという認識ができた頃から、気が付いたら日々通り過ぎることを上手くかわして生きるのが上手くなっている様になってしまった。

そんな現実をまだ受け止められず今日もお酒の匂いがする最終電車に乗っています。

 

ただ茫洋と日々が通り過ぎる中で、川底の石が削られて丸くなる様に私の感覚が丸くなってしまったのか、或いはアンテナが立って無意識に情報の取捨選択が出来る様になったのか、昔ほど心が動揺することがなくなった様な気がします。

揺れる枝の音や、風の柔らかさ、落ちる水滴、焼け付く様な視線も、凍る様な夜中の街も、溢れる光が目を刺す感覚も、果ては脈の触れも呼吸のリズムも、全てが色鮮やかで、それは今でも私の真ん中にずっと焼き付いています。

 

後生大事に抱え、しまいこんでいる内にそれは説明しようの無い強烈な焦燥感を孕んで、いつしか私の中に根っこを張ります。それはきっと私の絵の根底なのでしょう。理想でもあり、幼い私が持っていた世界観でもあるはずなのです。でも決して過去ではありません。

 

幼い頃に何度も裸足で家を放り出されて、あぁ、靴があればどこにでもいけると、団地の7階から地面を覗き込んでいた私はもうどこにもいません。

でもその時に覗き込んだ水溜りに映る私が今もずっと電車の窓に張り付いています。きっと私は私から逃げられない。今日も私はアルコールの匂いのする最終電車で、居候している人の家に忍び込みます。